出版社にあって、スタートアップにないもの
老舗中堅出版社を辞めて、従業員3人のITスタートアップに1人目社員として転職しました。
転職してから半年が経って「転職先ではどうですか?」と何度も聞かれました。挨拶がわりの質問なのか、本気の質問なのかよくわからないので、「一言でいうとDXって感じです」とはぐらかしています。こうして転職後の変化と真剣に向き合うことから逃げてきたわけです。
実際に携わる媒体は紙からウェブに、働き方は出社からフルリモートに変わりましたが、それは単に表面的な違いに過ぎません。出版社とITスタートアップの間には、皆さんの想像を超えるほど大きな「断絶」が存在します。あまりにも前職の経験が活かせないので、出版社での3年半が実は存在しなかったのではないかと思いたくなるほどです。
しかし、これは私だけではなく、多くのスタートアップ転職者が感じているはず。それまでの常識がまったく通じないのです。私が両者の間にある断絶を埋めていく過程を記録しておくことで、伝統的な企業から新興スタートアップへの転職を目指している誰かの参考になれば嬉しいです。
theLetter は採用強化中です。現在はエンジニアのみ Job Description が出ていますが、編集者やコミュニティマネージャー、カスターマーサクセス、デザイナーの方などもぜひ一度お話しましょう。Twitter で DM をください!
目次
-
属人性
-
暇
-
非合理
1. 属人性
「松本さんはDB管理ってしたことあります?」
スタートアップに転職した直後、代表からそのように尋ねられました。入社初期で自分を少しでも大きく見せたかった私は「やったこと“は”ありません」と、さも知ってるかのような返信をした記憶があります。もちろん、出版社時代にDBなんて聞いたこともありません。DBとはデータベースの略称で「決まった形で整理されたデータの集まり」のことを指します。theLetterでは、顧客(潜在的な書き手の方々)とコンタクトを取るたびにそれらを更新していく役割を私が担っています。
このDBは「データ管理」と「データ活用」という役割があると一般的に言われています。しかし、私にとってはまったく別の2つの役割があって、それこそが伝統的企業とスタートアップの違いを象徴していると考えます。1つが「認識の共有」で、もう1つが「進捗の共有」です。
認識の共有とは、画一的なフォーマットによって「統一された認識」をチーム全員が持つことができる状態のことを指します。ある作業で自分がDBを設計したとき、「顧客とのミーティングの手応え」とか「ミーティングの要点」という定性的で主観的な情報を記入する列を設けましたが、却下されてしまいました。それは、DBは誰が見ても同じことを考えられるように設計されるべきものなので、定量的で客観的な情報のみを記載するのが鉄則なのです。
これを一般化すると、情報共有における多義性(定性・主観)を排して一義性(定量・客観)を徹底することを意味します。進捗や結果の共有をする際に、個人差が発生することを防ぐことができるのです。また、一義的なデータが蓄積されていることで、分析に用いることができます。
進捗の開示というのは、「今日は他の日と比べてどのくらい作業が進捗したか」という情報がチームと共有される状態を指します。これは、今になって振り返ると最も大きなギャップを感じた部分でもありました。出版社時代の「校了という期限までにどうやっていいものをつくるか」という意識から、「事業への影響力を考えて今日は何をすべきか」という変化です。
前者が「成果物が期日までにできればいい」という結果が大事で、そのプロセスは不問とされるのに対して、後者は「今日するべき仕事を最大限のパフォーマンスでこなす」ので結果に加えてプロセスも重要となります。
校了日明けの編集部は、まるで祝日であるかのように人が来ません。オフィスの外で仕事をしているのかもしれないが、少なくとも私の場合だと校了明けは生産性が著しく低い日でした。詳しくは次の章「暇」で説明しますが、よく言えば緩急をつけて働いていました。しかし、今は緩める時間などありません。
直球で言い直すと、毎日ちゃんと働くようになりました。大人が「ちゃんと働けるようになった」なんて、我ながら恥ずかしい文面だなと思います。しかし、今でもあの時の働き方に戻りたくないと言えば嘘になる。それくらい働き手にとっては、魅力的な環境だったということです。
「自由な働き方」は、同時に弊害も生じさせます。認識の共有もなく、仕事のプロセスも人によってバラバラな状態の組織で問題となるのが「属人化」。つまり、その人にしかできない、知らないという仕事が乱立するようになるのです。
例えば、出版社の財産とも言えるライターやカメラマンとの繋がりは、編集者個人と紐づいているだけでDB化されておらず、編集部ではほとんど共有されていない。わざわざ上司に「こういうライターさん知りませんか?」「こんな写真を取りたいんですけどいい人知りませんか?」と聞かないと教えてもらえない。しかも、その回答が「本当はもっと適任な人がいたのに上司が思い出せなかった」というものだとしたら、大きな機会損失につながります。
これには繋がりが物を言う編集という仕事ならではの縄張り意識が原因であることも否めませんが、組織の単位で見ると明らかに損失です。編集者が会社を辞めると、書き手やカメラマンとその出版社との繋がりも切れてしまうといったことはどの出版社でもよく起こっているようです。
属人化の対義語は「標準化」。「誰がやっても同じ結果が出るようにすること」を指すのですが、これこそがスタートアップ的な発想だと言えるかもしれません。現職では「今、松本さんがやっている仕事を誰がやっても同じ結果が出せる状態にしてください」とよく言われます。「成功パターン」を見つけるための努力をスタートアップは惜しまないのです。
その最たる例が「振り返り」の習慣です。これは口頭でも文書でも行われますが、最終的な目的は「失敗の共有と成功パターンの発掘」にあります。そのために必要となってくるのが、「仮説と検証」という考え方。簡単に言えば、「なぜそれが上手くいくのか」という根拠を事前に考えて、事後に「それが失敗した、あるいは成功した理由」を分析するということ。今の会社では「成功するための仮説さえ立てておけば、結果は失敗してもいい」とよく言われます。
失敗しても事業を前進させられるのが「仮説と検証」の強みだと理解しています。すでに出来上がった仕組みの中で戦っていた前職に対して、スタートアップは新しい仕組みをつくるところが肝になります。既存のものを配置換えするだけではなく、抜本的に新しいものを発明しようとしている点において前職に比べると高揚感は格段に上がっています。
「仮説と検証」という概念がどれほど一般企業で実践されているのかは、よくわからない。しかし、大企業で働く友人などに話を聞くと「失敗した事業の検証が行われない、あるいは共有されないことがほとんど」という声もある。組織として失敗を蓄積・共有していかないと、また同じ失敗を繰り返すことになる。そして、失敗を検証しないということは責任の所在も不明なままであり、失敗した人でもポジションを維持することに繋がってしまう。なぜ失敗したのか、再び失敗しないために次は何をするのかを繰り返し考える。スタートアップが急速に成長できるのは、「仮説と検証」によるところが大きいことを中の人になって実感することができた。
2. 暇
転職してからというものの、仕事が終わると達成感と疲労を感じます。働く時間が長くなったわけではありません。出版社とスタートアップでは時間の質が大きく変わったのです。その質の違いをよく考えてみると、「暇」をする時間がなくなったことに起因しているのではないかと思います。
ひろゆき氏に倣って辞書的な定義を紹介すると、暇とは「働かない時間」のことを指すそうです。編集は「暇」な時間が生まれやすい仕事です。例えば、雑誌の場合、最終的な締め切りである校了の翌営業日は編集部に誰も来ません。オフィスでやるべき定形業務は次回校了の近くまで発生しないから、出社してもすることがないからです。私が不精な会社員だからではなく、仕事のフロー上どうしてもそのようになってしまいます。
一方、スタートアップには「暇」など存在しません。出版社が完成したシステムの上で戦っているのに対して、スタートアップは新しいシステムをつくるところから始めなければなりません。そのために「やった方がいい」ことは山のようにあって、その中から「やらないといけないこと」を的確に見定めて、優先順位をつけてこなしていくことが求められます。そもそもリターンがあるかどうかもわからない「暇」は重要度も緊急度も低く、「やらないといけないこと」には決してなりえません。その日の進捗や課題を共有するときに「今日は半日本屋にいました」は許されないのです。
スタートアップでは徹底して排除される「暇」ですが、この「暇」こそが出版社にとって競争力の源泉であったのではないかと考えています。誰も知らない面白いネタや企画の手がかりは偶発的なもので、自分の頭で考えてたどり着けるようなものばかりではないと思います。そのため編集者は手当たり次第に書籍や映像、ネットに目を通し、人と会って話しをする。挙句、「あー楽しかった」だけで終わることもしばしば。しかし、その中から偶発的なネタを拾い切って発信する力がかつて出版社の強みだったと思うのです。かつての出版社で働いたわけではありませんが、
人の発掘という意味でも、雑誌は大きな仕事を果たしていました。雑誌のバックナンバーをみていると2000年代初頭くらいまでは、今メディアで活躍している人たちがバンバン登場していました。雑誌が持つ人と情報の発掘力には驚かされます。上記のような「暇」を競争力に変える力が出版を支えていたことがバックナンバーを眺めているとよくわかりました。
しかし、発信の個人化が進むにつれて、出版社が拾い上げる前に情報が流通する仕組みがもうすでにできあがってしまいました。TwitterやTikTok、YouTubeを素材として使うのは当たり前で、雑誌や書籍の企画でもSNSのフォロワー数が説得力として語られる点で、弱さを露呈してしまっていると言っても過言ではありません。
インフルエンサーのPR本が書店のいい位置にあるのを見ると、人と会うよりSNSをうろうろしている方が面白い情報に出会えるのではないかという誘惑に駆られるのも無理はありません。しかし、そこに出版の強みがあるわけではないから、長期的には読者を取られてしまうことは否めません。
時代性を重視する雑誌などは、特にSNSのトレンドや人気と訣別するのが難しく、この負のスパイラルの影響を最も強く受けている出版物だと考えています。これは自分が雑誌編集をしていたときに一番課題だと感じたことでした。
「暇」がなくなった今の職場では、インプットは減ってしまいました。ここまで人と会わなくなるとは思っていませんでした。しかし、theLetterに来なければ学べなかったことも多くあります。データ分析の手法や組織コミュニケーションの取り方、標準化思考、仮説と検証のサイクルなど、出版社では学べないことを徹底することを求められます。「スタートアップの編集者」としてガラパゴス的な独自の進化を遂げるという密かな野望を抱いています。20代の終盤になって、異世界転生したかのような冒険的な転職をするチャンスが巡ってきたことは非常に幸運だったと思います。
3. 非合理
出版社の経営を他の業界と比較した際の特徴として「合理性」だけを重視しない文化があります。
特に会社規模が大きければ大きいほど、その傾向は顕著。細かい話で言うと、先ほど触れた属人性の高い業務フローも非合理的であるし、各社とも経費は編集者がかなり自由に使うことができる。総じてコスト意識はかなり低いのは明らかです。
しかし、非合理という点で出版社がユニークなのは、「売れないコンテンツ」との向き合い方ではないかと思っています。出版社は「売れなくても本を出版する」という慈善事業的な側面があります。結果として売れなかったということなのだが、そもそも出版は「一部の売れっ子にみんながご飯を食べさせてもらう」という構造。書籍全般が売れなくなってきた現在では、漫画事業が会社全体を支えているという出版社も多い(漫画がない出版社は厳しい)。確かに出版を営利活動として考えると「売れたものが良いもの」という考え方になるのだが、世の中には「売れないけどいいもの」もあることは、多くの人が納得するところでしょう。
歴史を遡れば、今では作品が美術館に展示されるような画家たちは、当時貴族や豪商にパトロンになってもらう形でサポートを受けていました。つまり、「価値がわかる人」が「売れないけどいいもの」を金銭的に支えることで芸術文化は育ってきたのです。逆にフランス革命や廃仏毀釈運動では「民衆」によって貴重な文化財の数々が破壊されました(「誰でも発信できる」には負の側面もあるのかもしれない)。
現代のパトロンとして「売れないけどいいもの」を守ってきたのが出版社だと言えるのではないでしょうか。「出版が文化を作ってきた」とよく言われるが、その場合の文化とは流行や時代の価値観を発信してきたことに加えて、自然に放置すると淘汰されてしまう「売れないけどいいものの保護」という側面があったのだと勝手に考えています。「いいもの」という基準をそのときのマーケット(現代で言い換えると読者データ)だけに委ねるのは、時代の変化に堪えられるコンテンツをつくることができなくなってしまうと考えています。
例えば、読者の行動パターンのデータを分析して自社制作の作品に取り込んでいるというNetflix。そこから時代を超えて語り継がれる名作は出てくるのでしょうか。答えは時代の評価を待つしかありませんが、私は難しいのではないかと思っています。なぜなら、データは今の時代に最適な答えを出すことはできても、時代を超えた価値を提供することが難しくなるから。「ストレンジャーシングス」より「アキラ」のほうが、「イカゲーム」より「カイジ」のほうが長く人々を楽しませ続けるかもしれないと思っています。
そうはいっても、「売れないけどいいもの」を創作・保護するという理想を実現できるのは、「裕福な目利き」だけ。つまり、安定して稼いでいるメディアの編集者だけに許される特権であることは忘れてはいけない。
多くの出版社が経営的に余裕がなくなり、事前に数字を出せるとわかる人に頼らざるを得なくなっています。つまり人気YouTuberやTwitter有名人、あるいはすでに売れている書籍の著者など、既視感たっぷりのデジャブ・コンテンツが溢れるようになります。残念ながら、この状況で出版業界がかつてのようにパトロンとして機能することは難しく、さらにYouTubeに読者を取られ続ける流れを止めることもできない。人気YouTuberを取り上げるメディアの発信より、YouTuber本人の発信のほうがリアルでダイレクトだからだ。
それに、ホリエモンこと堀江貴文さんの読者ニーズは堀江さんが一番詳しく知っているのだから、出版社が首を突っ込んでも勝てるはずがありません。出版社がわかりやすい数字に飛びつくことで自らの首を締めている構図が見て取れます。
「売れなくてもいいもの」をつくっても「売れるもの」をつくっても苦しいという泥沼に陥っているのが、今の出版を取り巻く環境ではないかと思います。こんな状況の中で、特段優秀なわけではない自分はどうすることもできないだろうと感じたのが、転職を決意したきっかけの一つでもあります。
そこで、私は出版の弱体化と個人による発信の増加という環境の変化について考えてみました。つまり、出版社の弱体化や淘汰が進むことで、売れないコンテンツを抱えるというパトロン的機能が減っていくことになる。そうなると書き手は、それぞれが個人で自分のマーケット(読者データ)を把握して「売れるいいもの」を自分自身でつくらないといけない。そこに対して、自分は価値を提供できるのではないかと漠然と考えてtheLetterに転職しました。今、自分がやるべきこととして「データを駆使して個人の発信をサポートする」という結論に至ったのです。
ん?さっきデータに頼ることを否定してなかった?と思った方、鋭い!個人的な理想に関してはその通りなのだが、出版社が担えなくなるであろうパトロン機能の補完や、増加する個人の発信に対するサポートに現実的なニーズがあると考えています。背に腹は変えられません。理想の追求は自分がジェフ・ベゾス氏くらい「裕福」になってから取り組む将来の暇つぶしくらいの期待として頭の片隅に置くことにしています。
ニュースレターや採用情報のシェア、感想などお待ちしております🎁
すでに登録済みの方は こちら